韓国旅行|「”コンユなので、コンユだから”可能であったこと」(インタビュー)♪
映画「82年生まれキム・ジヨン」(監督キム・ドヨン)でコンユの役は、良い人と同時に失認識の人の二面性を持っています。
原作小説でテヒョンは、俗にいう大韓民国のどこにでもいる「フンナム」でした。
妻ジヨンが育児と家事に苦しんでいることを知りながら、積極的に助けるか、または環境自体を改善する意志を見せません。
実家の保守的な雰囲気と妻の精神的苦痛の間で、それもまた、それなりのストレスを受けたはずですが、小説はテヒョンの視線や声を確実に現しませんでした。
映画として再誕生した「82年生まれキム・ジヨン」でテヒョンのキャラクターはより鮮明になりました。
コンユという俳優のイメージを貫通したテヒョンは、演出や脚本が意図しようが意図しまいが、それ自体で、第2の生命を与えられたわけです。コンユの力です。
コンユが演じたキャラクターテヒョンは、両名声を帯びています。
キャラクター的には立ちましたが、劇の中で葛藤要素を弱くしてしまった感もあるからです。それで映画の完成度を落としたのかと聞かれたら、「それは違う」と言えます。
コンユなので、コンユだから、映画の中の内外の役割を振り返ってみました。
◆「主人公でなくても…」コンユを動かした物語の力
コンユは、映画「82年生まれキム・ジヨン」をマスコミ試写会で見て泣きました。
その事実に触れると、「この映画を見て泣かないとおかしくないですか?」と照れていました。
「シナリオを見た時より、映画を見てたくさん泣いたようです。映画的な力もあって、音楽と調和するので、より感性に触れる感じでした。 他の俳優たちの淡々として自然な演技も良かったですし。
一番心が向かったのは、キム・ジヨンの家族についての描写だったと。
コンユは、「ジヨンのお母さんがジヨンに話すところに、特に心が向きました。お母さんががお母さんに話すことなので、より強く迫って来ました。」
「シナリオでも悲しいシーンでしたが、キム・ミギョン先輩がシーンに息吹を吹き込んでくれました。その感情が長く最後まで続いたんです」と話しました。
コンユのカムバックは業界の関心事でした。 「密偵」、「釜山行き」で興行街道を続けてきた彼が選択する映画は、当然主人公であり大作であると予想した人々が多くいました。
しかし、コンユは「82年生まれキム・ジヨン」のテヒョンの役割を選択しました。誰もが驚いた選択でした。
「シナリオを読んだ後、すぐに「私、これ演る!」と思いました。所属社の代表ですら「こんなに早く?すぐに大丈夫?」という反応でしたね」
「監督や制作会社の代表も驚かれたんですよ。すぐ監督に会いました。そして、私の最初の質問が「このシナリオをどうして私にくださったんですか?」でした。
「この方は私という人をどう見ているかそれが気になったんですよ。そして「当然演らないと思って一度提案してみただけなのに、演ると聞いて驚きましたよね?」とふざけて聞いたりもしました。
「監督は「心からコンユさんと一番演りたいと思っています」と言いました。」
「一番望む俳優になろうが、なるまいが、本気で提案してみようとされたと。そこでは話さなかったですが、心から嬉しくて幸せでした。」
「大韓民国で最も平凡な夫」を演じるためにコンユは、多くのことを取り除きました。演技も力を抜いて、外貌の緊張感も解放しました。
引き締まった筋肉質の体つきを持ってきたコンユは、体重を10kg近くも増やしました。
「私の年相応の演技をするのはやはり楽です。年齢が低いか高ければ人為的な要素が入るしかないのですが、そういう面でテヒョンは良かったですね。」
「もちろん「コンユが演るには似合わない」かもしれない役ですが…私が結婚をしていないから、子どもの一人や2人いてもおかしくはない年齢じゃないですか。むしろ、まだ始まったばかりの淡い恋人の気持ちを出すのが簡単ではなかったんです」
何をしてもコンユはコンユですが、ひそかに傾けた努力は自然な日常演技として感じられまhした。
前作 「男と女」でもそうでしたが、コンユは日常演技でも長所を見せてくれる俳優です。
「演技をする時、どんな表情をすれば良いか考えてはしません。それで相手の俳優との呼吸が大切なようです。」
「撮影空間というのが俳優が敏感にならざるを得ない環境ですが、相手の俳優が誰かによって自然に適応し、楽な演技が出るようです。」
「 私が感じることを反映しますから。テヒョンは主に観察者の立場でしょう?ジヨンをずっと眺める立場なので、その役割に忠実でなければと思いました。」
「そしてユミさんは演技がとても上手でしょう? 私はただついて行くだけでいいんですよ。」
テヒョンは映画の中で「トーン&マナー」をつかむのが容易でないキャラクターです。
小説よりは鮮明にキャラクターと役割を構築しながらも、キム・ジヨン中心の映画で観察者としての役割に忠実でなければならなかったからです。
コンユは監督との長い話し合いの末、テヒョンの色を定めることができました。繊細な矯正でした。
「ああ、本当に気がきかない」と感じさせながら、憎らしく見えてはいけないでしょう?」
「シーンひとつひとつ計算して作業したわけではありませんが、テヒョンの機能的な役については認知をしました。」
「実はテヒョンがもう少し悪口を言われても良いのではないかと思いました。むしろ人々がそんな面を知らなかったらどうしよう? と心配したんです。」
「あんな旦那さんがいたらいいんじゃないの?という視線が懸念されたからです。これまで私が演じてきた役柄があるので、コンユはコンユだと言われるじゃないですか。」
「それを崩すのが俳優の役目だと思います。「世の中、あんな夫がどこにいるの?」と思われたら映画鑑賞の邪魔になるわけですからね。」
「私はむしろ、その程度の優しさを備えている方が、かえって映画的ではなかったかと思います。」
「後ろ指を指されるほどの良くない夫だったのが、妻が病気だとわかって変われば、それがより飾り気のない映画的なキャラクターになりそうでしたから。」
「また 「あれを演ろうとコンユに書いたんだけど」と誤解されるかもしれないですし。」
「少し優しくてもいいのではないかと思ったんですが、完成した映画を見ると、監督の決定が正しかったと感じるようになりました。」
◆釜山の男コンユが見た母親そして姉
広く知られていないですが、コンユの故郷は釜山です。そこで生まれ育って高校まで卒業しました.
相対的に保守的と言われる慶尚道文化圏の下で育ったコンユは、キム・ジヨンの人生と哀歓を理解できる幅が広そうです。
「典型的な慶尚道の家で育ちました。「父ではないけど、おじいさん、その上の世代は確かに家父長的な面が多かったです。」
「幼い頃、「祭祀を行ってからどうして男性と女性が別々に食事をするの?」と考えましたが、疑問を提起する年齢ではなかったようです。」
「その一つを一般化することはできませんが、映画を見ながら過去、家の中で見たある姿がよぎったりもしました。」
「映画を撮りながら同年代の故郷の友達の話をたくさん聞いてみました。お前の家はどうだった?」こんな話を初めて交わしたんです。
意外と保守的な家があるし、家父長的な家もあるし…。それぞれが置かれた環境が違うだけに、映画もそれぞれに違うように感じるのではないかと思います」
コンユは、「今回の映画を通じて、家族と前とは違うテーマの対話をするようになった」と話しました。
彼は母親に電話をかけて「どうやって育てたの?」と尋ねました。母の話が知りたくもありました。姉が一人います。」
「私と比べて差別されたかって? そうですね。姉の立場ではされたと感じる時があったのではないでしょうか。今度一度聞いてみようと思います。」
「幸いにも前代の家の雰囲気が受け継がれる環境で育ってはいなかったようです。もちろん私が知らないで過ぎ去った部分もあるでしょうけど」と語りました。
小説「82年生まれキム・ジヨン」のように、いわゆる「フェミニズム小説」に関心があったかという質問にコンユは「どんなものがフェミニズム小説なのかよく分からないし、それをわざわざ探して見たことはありません」と慎重に答えました。
最近、自分が読んだ小説に何冊か触れながら、「女性作家が書いたものですが、フェミニズム小説というより、人と人の関係についてのエッセイです。私たちが関係の中で知っていて、あるいは知らずに加えることになる傷に関する話を扱っていました。」
「その方の文体が好きです。私が「82年生まれ、キム・ジヨン」という映画を選択した理由の一つも、それです。」
「私たちが知らずに過ぎてしまった傷に関する話ですから」と温かい眼差しと低い声で話しました。
◆”私のイメージは、商業的にだけ消耗されたくない”
コンユは自分を客観化することにためらいがありませんでした。
大衆から愛されるスターとして、大衆が自分のどんな面を愛して熱狂するかを知り、それに対する期待感を維持しながらも、自分の中の変化のために努力する姿でした。
「自分のイメージを破るべきだと意識している方か?」という質問に「ありがとうございます。そんなことを意識していないですが、作品を選ぶのに時に邪魔になる時もあります。」
「商業的にだけ消耗されたくないですが、商業映画をしています。ただ商業的にだけ使われるのは嫌です。」
「コンユが持つ大衆の好感、特に女性が持つ好感があるでしょう?そんな面が作品に商業的に「それのみ」で使われたらそれは嫌です。」
「いつも真心を尽くして映画をしようと思います。大衆が「こんな役には似合わない」と言えばそれも受け入れなければならないし、「かなり普遍的にうまく描いているね」と言ってもらえれば成功ですね。」
「ちょっと違う脈絡の話ですが、この映画に対して過度にならない線で、私が少しでも大衆が楽に手を伸ばせる影響力を行使したなら悪くないと思います。」
それにもかかわらず、映画をめぐる過度な関心と火がついた論議に対する恐れはなかったのでしょうか。
彼は「強がりではなく、怖くはありません。とりあえず演りたい映画を選んだのですから。」
「また、シナリオを見て漠然と思った満足感を作品から見つけました。これ以上の恐怖心を抱く理由なんてありません。」と述べました。
「82年生まれキム・ジヨン」に喜んで参加したコンユは、究極的にこの映画を通じてどんな話をしたかったのでしょうか。彼はこう言いました。
「映画一本で急にすべてが変わるはずはないでしょう?ただ私たち皆一緒に話をしてみようということです。」
「私は「82年生まれキム・ジヨン」の結末が映画という特性によく合っている選択だと思います。」
「ある明確な解決策を提示するのではなく、「それでも大丈夫だろう」という希望の結末です。小説と映画のジャンル的特性は確かに違いますから。監督の選択に賛成です。」
ひとこと
映画公開後、約1ヶ月経ったところで明らかにされたインタビュー記事。素直な語らいがとても心地よく、これから先のコンユという俳優さんがますます楽しみになりますね♪
*写真はLOTTEENTERTAINMENT,illyoilbo他より記事はSBSfunEからお借りしました。
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