韓国旅行|【コン·ユ】『トランク』で感じた愛に対する新しい見方[ロングインタビュー] ♪
『トランク』を通じてコン·ユは愛に対する新しい見方を得たと明らかにしました。 彼は「正確な愛を提示するとは言えない」と伝え、この作品が結局「良い関係」に対する話をすると思ったと説明しました。
「この作品を通じてどんなことが良い関係なのかを悩むようになった」という彼は、「ソヨンの愛は成熟した関係ではないかもしれない」という個人的な考えを明らかにしました。
この発言は、彼がこの作品で伝えるメッセージと関連した深い省察を表しています。
彼は自身が指向する愛と人間関係の形態を悩みながら、<トランク>が彼に「どんな愛が成熟した関係になれるかについて質問を投げかけた作品」と説明しました。
結局、この作品を通じてコン·ユは自分だけの愛と関係に対する理想をより明確に整えることができました。
◇自分の人生と目指す愛のビジョン
コン·ユは自身の人生に対する指向点を明確にしており、「私はそのような人です」とは言えないが、「私が指向する愛かもしれないし、指向する人間関係かもしれない」とし、彼の価値観を明らかにしました。
これは彼がこの作品を通じて新しく悟った愛の本質と人間関係での成熟さを念頭に置いて言った言葉でした。彼の発言は過去の自分を振り返り、成長と変化を経験した現在の見解を土台にした真剣な省察を含んでいます。
◇俳優生活23年、その原動力
俳優コン·ユはデビュー23年を迎え、自分が依然として成長しているが、同時に変わらない面もあるという深い省察を表わしました。
彼は「年齢が成熟度に比例するとは思わない」と話し、生きていく間に生じる「タコのようなもの」と「(意志が)強くなること」を経験したと伝えました。 ですが、依然として傷ついて大変な瞬間があるという点で「それが人生」と付け加えました。
それにもかかわらず、彼はまだ演技を続ける原動力を見つけることができると言いました。 彼が「傷つき辛い瞬間にも心が動くのはファンの方々や作品を通じて私を知ってくれる一言」と説明し、これは彼に大きな喜びを与えると伝えました。
「それが唯一の息抜き」と表現したコン·ユは、ファンとの関係と作品を通じて得た理解が彼の演技生活の最も大きな原動力であることを強調しました。
◇本名、芸名、その間隙を縮める
コン·ユは俳優としての職業的特性上、「芸名」と「本名」の間で感じた間隙についても率直に話しました。
彼は「本名コン·ジチョルと芸名コン·ユの隙間を減らしたいのが僕という人」と言及し、自身が芸名を使いながらも本質的には「自分自身を表わすことを失わないようにした」と明らかにしました。
作品の中で時にはファンが期待するイメージを構築しますが、「言い訳で」のようなプログラムに出演して「つまらない話」を交わす彼自身を表わすことが怖くないという点を明確にしました。
彼は「僕という人はこういう人だ」と継続して話してきたし、そのように23年を働いてきたと説明しました。 その過程でケガをする時もありましたが、「人は変わらないので、そのままこのように生き続けると思う」として自身の人生に対する信念を表わしました。
最後に、コン·ユは<「言い訳で」年末授賞式の招待を受けたものの、スケジュール上参加が難しいかもしれないと伝えました。
そして、彼は変わらず自分を「ありのまま」に表わし、演技を続けるという意志を示しインタビューを終えました。
◇面白さ、良かった部分
劇中のキャラクターたちの心がよく理解できました。 この作品を選んで方向に合わせて出てきたと思っていて、面白いと思っています。
撮影的な部分で洗練されていると思いました。 現場で演じて以後、編集、音楽などの部分が洗練されてよくできたと思います。
ジャンル的な面白さをよく考えて編集したようで、誰かには夢中で、誰かには散漫になるかもしれないですが、洗練された編集が特に後半にかけてよくできて満足しています。
結末に対する部分は監督が最後まで悩んだと思います。 ドラマ自体が持っているトーンに比べれば、最後は少しきれいに終わったと思います。 しかし、そのようなことは演出者の判断でドラマの美徳のように感じられました。
◇「トランク」を選択した理由
私はそれぞれの人物や作品が話すところが理解できて作品を選択しました。 台本をもらってやると決心した時、解決できると思いました。
仕事を20年以上していたら、若い頃にはある部分で欲を出したことがありますが、すべての人に完璧な作品はないということをある瞬間に認めてからは、自分が共感する内容に出演することに勇気が出たという部分がありました。
私の話が正解ではないですが、この作品の面白かったポイントは多様な観点で多様な面白さがあるということが面白かったです。 愛に対する話を色々な話や映画でしているが、ほとんど明るい部分やドラマが持っているファンタジーが時には現実満足や現実にない喜びを与えるジャンルだと思います。
この年齢まで生きてくると、人の心がいつも幸せなわけではではないと分かります。 恋人同士でもお互いを理解するのに衝突する地点がありますが、そのような部分を見せるのも私の個人的な立場では面白いと思いました。
いつも明るい作品をする必要はなく、俳優の立場で新しい表現をし多様なカテゴリーができると思いました。個人的にはもう少しドライに終わってほしかったです。
Q.ハン·ジョンウォンの感情線をどのように設計したのでしょうか?
A.ドラマを全体的に見ると、インジとジョンウォンは運命的な出会いを持った人です。
「誰が死んだ?」
「友だち」
「僕は母」
と話す場面が二人の敍事で大事な場面だと思ったし、最後まで見れば二人の敍事が理解されると思いました。 演技をしてあるキャラクターに入る時、数学的に接近しません。 ただ、ハン·ジョンウォンが本質的に持っている痛みは何かを考えてみたんです。
劇中のハン·ジョンウォンや俳優コン·ユも底辺にあるそのような感情があると思います。 そんなことを私はジョンウォンのために取り出さなければならなかったんです。
そこでジョンウォンに同質感を感じたのが、本質的にこの人はなぜこのように迷って干からびているのかを知り、想像して探求していたところ私が持っている深淵の何かと同じものをジョンウォンに本質的に感じたんです。
◇ハン·ジョンウォンのキャラクター演技
僕自身が不慣れで大変な時があるのに演じるということ。 私は時々キャラクターを借りて話をしますが、心の中で感じて一人の人間として持っているそのような部分が混ざります。
時間が経ってから、その時に知らなかった部分が時々発見されることがありました。 そんなことは俳優の宿命のようです。
ハン·ジョンウォンは愛を渇望したというより、幼い時に経験してはいけないことを経験したトラウマを持った人物だと思いました。 情緒的に傷ついたと思い、それで成長が止まってしまったと思いました。
完全な愛が何なのか分からずに大きくなったのではないかと思ったし、インジに初めてまともに愛を感じたと思いました。
そんな子供に歪んだ愛に対する考えを持っている女性が長い間、主体的に判断できない人をガスライティングしてジョンウォンはその中で何一つ認知できなかったと思ったんです。
◇ソ·ヒョンジンとの共演
ソ·ヒョンジンさんは、一緒にやりたい俳優でした。彼女は一緒に演技した時、ひどいと思うほど緻密でした。 作品に対する理解度が深いという感じを受けました。
通りすがりの1シーンも無駄にしなかったんです。 本当はインジとジョンウォンには似ている点があると思います。 そのような点で、劇中で若干の鏡治療もあると思いました。
そのため、与えられた状況で演技をする時にインジが眺めるジョンウォン、ジョンウォンが見るインジについて、ソ·ヒョンジンさんと私の考えの雰囲気が違わないので幸いだったし、演技する時に自然に溶け込んでいきました。
ソ·ヒョンジンさんも今回会ってみたら、恥ずかしがるのが嫌な人でした。
私たちももう20代、30代ではないので、ソ·ヒョンジンさんも演じながらとても苦しがっていたしドラマのトーン&モードが暗い方なので、二人の関係で視聴者も休める部分がなければならないでしょう?
二人の幸せな時間がなければならないのではないかと思ったのです、二人とも演技する時には少し大変でした。
◇テーブルでインジを皮肉るハン·ジョンウォン
二人は自己防衛の強い人物です。 ハン·ジョンウォンは引き続きインジを刺激します。 ジョンウォンも負けないように強いふりをしますが、すべての面でインジの相手になりません。
ジョンウォンは病気の子供です。 まともに育ったとは思えず、インジの勢いに押される人物です。 ジョンウォンはそれが本心ではないのに、ひどいふりをしているのです。
それが自己防衛であり、インジに自分の恥部がばれないためにもがくのです。インジはそれをほとんど見抜いているのです。
そのシーンで一番良かった私のポイントは、ジョンウォンがそのようにインジの前で皮肉を言ってもインジが強く出てくるので、私が椅子の後ろに少し寄りかかりながら「これ見て」という感じで少し笑うところ。
それで、その後にもっと強い言い回しをするのですが、そのポイントがジョンウォンの立場では何か重要な地点だと思っていた演技でした。 その刹那のジョンウォンに刺さる表情。
ジョンウォンはインジを見ながら同質感を感じたと思います。 単純に理性を離れて誰かを見て対話をすれば、短い時間でも同じ考えをすることに好奇心を感じることができるものです。
親しくなりたい。 知りたいという考えで、それが理性なら愛に発展できるポイントだと思います。ジョンウォンはインジを本能的に知っていると思います。 タンゴシーンでジョンウォンの隠された感情がポンと出てきたと思って演じました。
◇「トランク」をしながら演技的な面白さを感じた部分は?
ある方々には台詞に対する部分を話す時に不便だ、あるいは幼稚だという観点も持たれたようですが、私はささやかに面白さを感じた部分があります。例えばこのような台詞です。
2回目の偶然、1回目の偶然の話をしながら最後に「一生じゃなくても30年くらいは」のような台詞を言います。ただ幸せを追求する童話的な話よりは、ややひねくれた台詞が随所にあるんです。
私にはそのように表現する面白さがあったし、台本を見た時もそこに何か隠喩と逆説が含まれていると思ったので、それが演技する時に内心一人で面白く思っていました。 事実、柔らかいドラマでは絶対に出てこない台詞が多く、情緒的に強い台詞をする時があったりもしました。
それが韓国の情緒であれ外国の情緒であれ、全て離れてもこのように包装されていないある生のものに人々なら誰でも心の中で一度は考えてみたはずで、他人の顔色を伺って吐き出せない言葉が私にもかなりあったと思いますが、私はそれでむしろ面白くて興味深く感じられたんです。 そのような台詞には、美化はなかったようです。
◇メロジャンルに本気が見えるんですが
メロというジャンルを追求して選択するのではありません。 どんな話なのか、この作品がどんな話をしようとするのが方向性が重要です。
仕事をしながら、そのような部分に個人的な欲や達成感があるかもしれないですが、私が漠然と考えていた俳優という職業を想像した絵に似てきているようです。
社会的であろうとなかろうと、その話が私に近づいてこなければならず、なぜこうなのかに対するある好奇心が生じなければならず、そして結局はこのような設定を通じて何を話したいのかに対する考えをした時、それについていくようです。
大衆的には成功できなかったですが、個人的には<男と女>は私のフィルモグラフィーで好きな映画です。 私のフィルモグラフィーがどのように積み重なってほしいかという正確な説明は難しいですが、自分が好きですることが積み重なって行って欲しいです。
いつか仕事を辞めたり年を取って仕事ができなくなった時、時代が変わっても作品は残るので、後々記憶される作品も必ずあると思います。
だからその時、その時の反応だけが重要なようではありません。 そのような考えで私のフィルモグラフィーを満たしていきたいし、個人的な夢のような作品を選択していくようです。
◇俳優コン·ユの考え
私はディストピア的な世界観が好きです。 実際に世の中を眺める観点がそうであり、作品を選択するのに影響を与えています。
私はただ幸せを待っていると絶対に思わないタイプの人なので、ハン·ジョンウォンの台詞で引き算の話をするように私も若干その類の人のようです。
こんな考えはしてみたことがあります。
<トランク>という作品では結婚に対する話も出て子供に対する話も出てきますが、結婚を必ずしなければならないのかという考えを若い頃はできなかったです。
年を取って結婚は何か、今現在私の立場で強要することもできず、必ずしなければならないわけでもないただ個人の選択に過ぎないという考えが今の私の考えです。
そして子供に関連した考えをした時、私はとても若い父親になりたかったのですが、それは私の若い頃のファンタジーのようなものでした。
年の離れた若いパパになりたい。 漠然とそんな考えをしたが、結局思い通りになったことは一つもなく、今は自分の意図と関係なく生まれる子供ではないですか。 二人の男女が愛し、彼らの意志で世の中に出てきた子供ですが、その子供には選択権がないのです。
その子が出てきたこの世、その子が出てきて眺める世の中がこの子に見せるほどの世の中なのか、こういう悩みを一人でしているようです。
それで世の中で見せるものには美しいものが多いですが、同時に個人的に世の中には見せたくないこと、見ないでほしいこともあまりにも多い世の中だという考えと悩みをして暮らしています。
◇「トランク」が見せてくれる愛と自分の考えは?
「トランク」がある正確な愛を提示するとは言えないようです。 私は<トランク>に接して演じて完成したのを見ながらも、一貫した考えは結局は良い関係に対する話をすることだと考え、どんなことが良い関係なのかを悩みました。
少なくとも、所有の愛は成熟した関係ではないかもしれないと個人的に考えました。 そして「私はそのような人です」と申し上げるのではなく、私が指向する人生のようです。 私が指向する愛かもしれないですし、そして指向する人間関係かもしれません。
◇デビュー23年の俳優生活の原動力
私が単純に俳優を離れて人間として年齢が成熟度に比例すると思わないですが、生きていれば色々なたこもでき、強くなれるとも思います。
それでも依然として傷つき、依然として大変さがあります。 そういうことが人生のようです。
絶えず揺れていますがその度に私の心をつかむのは、実際に私を色眼鏡なしに眺めてくれるファンの方々や、ある作品をした時この作品をなぜ選択したのか分かるような気がするという一言が演技を続けられるようにしてくれるようです。 そこから喜びを感じることができるようで、唯一の息抜きのようです。
私という人はつまらない人です。今まで仕事をしながら失ってはいけないと思っていることは、芸名を使っているので、本名のコン·ジチョルと芸名コン·ユの隙間を減らしたい、そういう人です。
私はそのように仕事をしてきました。 職業が注目される俳優という仕事なので、キャラクターのために色々なイメージ、ご覧になる方々が作業のためにファンタジーがついている瞬間があります。
しかし、私は<言い訳で>のようなところに出てつまらない話をする時の私はありのままを表わします。 そんなことは怖くありません。
「私という人はこんな人です」と言う話を絶えずしてきて、そのように23年仕事をしてきましたが、そのために怪我をする場合もありました。 でもいいんです。 人は変わってないから、こうやってずっと生き続けていくと思います。
ひとこと
今回も真摯な思いを素直に吐露し、俳優という大変な仕事の中でも常に深く自分を見つめ人に対してだけでなく自分に対しても誠実に生きている人間コン·ユ。だからこそ「トランク」をまた観たくなると実感しますね♪
✳︎写真はNETFLIXより記事はwithinnews.soからお借りしました。
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