韓国旅行|名作のスペース:山寺と聖堂に染み込んだ『トッケビ』…その寂しさときらびやかさ♪

韓国旅行|名作のスペース:山寺と聖堂に染み込んだ『トッケビ』…その寂しさときらびやかさ♪



▲キム・シン(コンユ)が死者を弔う灯籠を飛ばす場面を撮影した安城(アンソン)石南寺(ソクナムサ)。こぢんまりしたお寺が、1300年が過ぎた歳月を抱いている。



◇ドラマ「トッケビ」撮影地安城石南寺・ミリネ聖堂

悲運のカップル死後さようなら
風灯を飛ばした石南寺石階段
超越的な存在が包んだように
1300年の歳月が盛り込まれて

ろうそくの火を消して鬼トッケビを呼んだ
切なる祈祷のこもった”ミリネ聖堂”
脅迫から逃れた信者たちの交友村
光が天の川に似て’ミリネ’


私たちの生活は悲喜劇の連続です。それは、人生が死とコインの両面のような関係だからです。

人生は誕生から祝福になり幸せですが、その時点から少しずつ死に向かって歩かざるを得ない私たちの運命は、生きがいを今一度悲劇にさせるのです。

キム·ウンスク作家が、トッケビを素材にしたドラマに“寂しくてきらびやかな”という修飾語を付けたのは、私たちの暮らしの悲喜劇を描くためだったのでしょう。












終映してから2年半ほど経地ましたが、tvN「寂しくてきらびやかな神 – トッケビ」を思い浮かべれば、先に相反しますが、全然照れくさくないように似合う「寂しさ」と「輝き」が交差する幾つかの風景が描かれます。

ある光のいい日、まるで風船のようにふわふわしながら溌剌さを発散する青春のチ·ウンタク(キム・ゴウン)を見るトッケビキム・シン(コンユ)”の寂しい笑みがそれです。

その溌剌さは、あらゆる重さを虚空に立たせて送ることができるような輝かしい軽さを示しますが、それに永劫な歳月を生きてきたトッケビが投げる、とても短い瞬間に過ぎないという寂しい視線が加わるのです。

胸に刃が刺さったまま数百年を生きてきたトッケビと、彼を”無に帰す”ような刀を抜く運命として現れ、彼と恋に落ちるトッケビの花嫁の物語。

生と死、幸せと不幸、出会いと別れ、笑いと涙、きらびやかさと寂しさ…。

「寂しくてきらびやかなトッケビ」は、多くの二律背反的なものが重なっている私たちの暮らしをトッケビというファンタジーを通じて描いた作品なのです。











トッケビが行くことができない空間があるのでしょうか。

チ・ウンタクがどこででもロウソクの火を消すと現れる”トッケビ”キム·シンは、彼に合う特定空間があるはずがないでしょう。

そのため、ドラマのロケ地は、キム·シンとチ·ウンタクが初めて会った注文津(チュムンジン)の海辺から、彼らが初めてキスをした場所だった全羅北道高敞(コチャン)の麦畑、酒に酔ったキム·シンとチ·ウンタクが話を交わしながら歩いていた仁川青羅湖水(インチョン·チョンラホス)公園などほとんど全国に広がっていました。

しかし、その多くの空間の中で、京畿道安城(キョンギド·アンソン)は特にこのドラマの悲喜劇的情操と最も似合うのです。

チ·ウンタクがロウソクを消してキム·シンを呼び出した”ミリネ聖堂”と”キム·シン”が死者を祝う灯籠を飛ばす場面を撮った”ソクナムサ”がそこです。

聖堂とお寺、奇妙にも、このドラマが京畿道安城(キョンギド·アンソン)で両宗教の空間に出入りしながら、人生と死の物語を盛り込んだというのは意味深いことです。











安城はブドウと貯水池が有名です。安城にブドウが栽培されたのは1901年、フランスの神父コンベルがここに亀浦洞(クポドン)聖堂を建設してからです。

ワインはカトリックで”イエスの血”と呼ばれ、ミサの酒として使われ、聖堂の横にブドウ園が作られるのは不思議なことではありません。

このようにコンベルが、ミサ用のワインのためにブドウを植えたのが安城ブドウの起源になりました。

しかし安城ブドウが有名になったのは単なる宗教的な意味だけではありません。

安城(アンソン)という地域がブドウの栽培に優れた気候と風土を持っていることが、こうして始まった安城ブドウをさらに有名にしました。

大半の果物はそうですが、気温の差が大きく、雨が少なく、太陽を多く受ける所ほど果物の糖度は高くなります。

安城は京畿道でも日照りで有名な所です。梅雨時に雨が降らないそこは、そのため葡萄はもちろん梨のような果物も糖度が高いのです。







▲チ·ウンタク(キム・ゴウン)がろうそくを消し、キム・シン(コンユ)を呼び出したミリネ聖堂。内部のゴシック様式の柱が敬虔さを感じさせる。





しかし、雨の降らない地域的特性のためか、安城は貯水池が多いところでもあります。

金鉱貯水池と高三貯水池が代表的なほか、漆谷貯水池、馬屯貯水池、龍雪貯水池、徳山貯水池など、多くの貯水池がいたるところに分布しています。

朝晩と日中の温度差が大きい地域的特性のため、夜明けに霧が立ち込めることで有名なコサム貯水池は、キム·ギドク監督の映画’島’の撮影地にもなりました。

石南寺とミリネ聖堂がそれぞれ、マドゥン貯水池とミサン貯水池に近いのはあまりにも安城に貯水池が多いからでしょう。

しかし、それが”干ばつ”を勝ち抜くために作った”貯水”という逆説的な空間だという事実が死の前に立った人間の限界を克服するための救援としての宗教的空間と奇妙な調和をなしているということが、かなり象徴的に感じられるのです。

そして、それは安城ブドウの起源を再び思い浮かばせます。日照りがさらに糖度を上げる果実のパラドックスです。










安城がこのような逆説的な意味を空間に秘めていることを念頭に置いて出かける小さな旅。

石南寺と聖堂を訪れる道は、そのため重い人生の重さを少しは和らげ軽くなりたいという気持ちでもあります。

ソウルから車で一時間位で行ける安城は、距離に見ると、ソウル近郊であるといえますが、実際行ってみると、意外にとても静かな田園都市ということが分かります。

龍仁ぐらいでさえ大規模なアパート団地が立ち並ぶため、新都市と呼んでもよさそうな風景ですが、そこから少し離れた安城は田舎の道の風景が依然として生きている場所です。

石南寺とミリネ聖堂は、安城市内を中心に南側と北側にその方向が異なり、宗教の聖地であるため、行き来する道を歩いて行くのは容易ではありません。

遠くないドライブをするという気持ちで自動車を利用することを勧めます。

特に「寂しくきらびやかな神 – トッケビ」の正祖と意味を反芻したければ日差しの晴れた日の平日が適当です。

ソウルから流出してくる車が相対的に少ない平日の日差しの良い日なら安城(アンソン)市で会うこの二つの聖地がくれる「きらびやかさ」と「寂しさ」をそのまま感じることができるためです。









安城市内から石南寺はマドゥン貯水池を通って瑞雲山に行く途中にあります。

金鉱貯水池よりは小さいですが、それでもかなり大きな防竹が見えるマドゥン貯水池を横に入るとキャンピング場と瑞雲山(ソウンサン)自然休養林に出会って、そこで石南寺に入る小さな道を見つけることができます。

道が狭く森が茂って一台の車が通れる一方、対向車が来ると狼狽しそうですが、途中で避難できる空間が設けられており、車の通行もほとんどなく、かえって車に乗って森の真ん中に入るような気分を味わうことができます。

そうして森を抜けると急に雪が明るくなる広い空間に石南寺が一望できるでしょう。

やはり「寂しくてきらびやかな神 – トッケビ」の撮影地を訪れる人が多いのか、入口から目につくのは「トッケビ撮影場所」と書かれた表示板です。

道に沿って登ると、恐らく蓮灯が木の上に実のように咲き乱れた風景を演出しています。

長い歳月の跡がにじみ出るツタが涼しい緑の夏の服を着た石南寺が直面すると目から涼しくなります。

それほど大きくない規模の寺院ですが、大雄殿につながる石階段は瓦を載せた塀が両側に並んでいて、まるで超越的なある存在が包み込むような温もりが感じられます。

この石段の上でドラマの中でキム・シンは、悲運のカップルキム・ソン(ユ・インナ)とワンヨ(イ・ドンウク)の死後の安寧を祈願し灯籠を飛ばしました。










一箇所に立って寺の全体を判断できるほどにこじんまりしたお寺ですが、この寺が新羅の文武王の時にの高僧ソクソンが創建したという事実は少なくとも1300年を超える歳月を鮮明に抱いているということを伝えてくれます。

もちろん高麗初期に恵居国師が建てられ文禄·慶長の役当時完全に焼失したのを僧侶の華徳が再び再建し、今日まで保存されているので、その昔の姿は推測できないです。

しかし、その場で数回消滅し復活したそのことは、まるで生まれ変わりを重ねたドラマの中のトッケビのようなオーラがにじみ出ています。

石南寺で緑豊かな森に目覚め、その長い歳月の中で国は存在の瞬間を寂しく輝かせてきました。

古参貯水池,露谷貯水池を過ぎて尾山貯水池にたどり着くと、遠くに耐性地の静けさが感じられます。

おそらく週末になると、ミサのための人で埋め尽くされる広い駐車場に車を止めると、まず右側に目に入るのが聖ヨセフ聖堂です。

まるでアルプスの山裾にあるような異国的な建物と”マルグ井戸”という本堂の信者が使っていた瓦屋根の下の井戸が奇妙な東洋と西洋の調和をなしています。

冠をかぶって十字架を持つ石像が与える妙味とともに。









聖ヨセフ聖堂が予告編だとすれば、あらかじめ耐性地の入口を過ぎて内側に入ると出会う本堂は本編に当たります。

城のキム·デゴン神父の造像が建てられた入口を過ぎ中に入ると、なんだか敬虔になり心が落ち着くのを感じることができるでしょう。

ゴシック様式特有の伸び伸びした柱に自ずと頭を下げるように。

天の川の固有語である”ミリネ”と名づけられたのは、辛酉博(シン·ユバク)海、己亥迫害から逃れてここに入ってきたカトリック信者らが交友村を形成し、夜になると流れた灯りがまるで天の川のように見えたからだと言います。

そのためか、そこでは誰かの切実な祈りが今も静けさの中に聞こえてくるようです。

「寂しくてきらびやかな神 – トッケビ」でチ·ウンタクがロウソクを消し、キム・シンを呼んだ空間としてその本堂が背景となったのは、もしかしたらその切実な祈りの意味を盛り込むためではなかったのでしょうか。










安城(アンソン)石南寺(ソクナムサ)と密内城(ミリネソン)寺を見学しながら、軽く涼しくなった頭で戻って来る道は、まるで生活の実体を垣間見たかのような妙な気分です。

きらびやかな日差しの中でも、静かに黙々とその場を守っている両空間は、私たちの生のきらびやかさと寂しさを考えさせます。

人間の生が誕生と死を数回繰り返したその時間を十分に耐えながら、私たちの有限な人生は厳しいですが、だからこそきらびやかなものなのだとその空間が耳元にささやいてくるようです。

その空間は、「永遠の命のない瞬間の人生だからこそより美しい」と言います。

永劫を天刑のように生きて来たものの、愛する人によって、ついに無に帰した後、その切実な祈りで生まれ変わったあるトッケビの声で・・・。

*文·写真=チョン·ドクヒョン(文化評論家·コラムニスト)



ひとこと


雨の週末にふさわしいどっしりとしたコラムで再度「トッケビ」の世界に引き込まれました。ソウルからも遠くない安城。夏休みに訪ねてみるのも良さそうですね♪


*写真はmunhwa.com他より記事はmunhwa.comからお借りしました。

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