韓国旅行|『イルタ·スキャンダル』が教えてくれた”幸せになる秘訣”〜ドラマの中の人物の心理探求〜♪

韓国旅行|『イルタ·スキャンダル』が教えてくれた”幸せになる秘訣”〜ドラマの中の人物の心理探求〜♪







◇tvN「イルタスキャンダル」の 人物たちが幸せになった理由

ドラマの中の人物の心理を探求してみます。 その時、そのシーンが気になった人物たちの心理を広げてみると、いつのまにか私たち自身の心も、よりよく見えるようになるでしょう。

「子供は親を選べない。自分が少しでも立派な人間になるしかない」

tvN「イルタ·スキャンダル」のソンジェ(イ·チェミン)は15話、自分を産んでくれた母親に失望したヘイ(ノ·ユンソ)にこのように話します。

そして「イルタ·スキャンダル」はソンジェの言葉のようにドンヒ(シン·ジェハ)を除くすべての主要人物が、以前より「良い人」になりハッピーエンドで幕を閉じました。

実は私は面白くて軽快だったこのドラマが少し心配でした。 不条理な現実をあまりにも当たり前のようにドラマの素材として活用したためです。

しかし、このドラマの「ハッピーエンド」を吟味しているうちに分かったのです。これは「イルタ·スキャンダル」がただ軽いドラマではなかったことを意味しています。

じっくりと、ドラマの中の人物の変化を覗いてみるとこうです。 「大丈夫な人」に成長した人物たちは自らの人生に責任を負う勇気を出し、そうでない人は人生をあきらめてしまいました。

つまり、「イルタ·スキャンダル」は自分自身として生きることを選択する勇気と責任について話していたわけです。 その旅程を見てみましょう。






▲ 「イルタ·スキャンダル」の子供たちは大人たちがより良い人になれるように助ける。




◇自分の人生を他人に転嫁する時

私たちは今、自分の生きている姿が「自分の人生」だと考えたりもします。 ですが、実存主義心理学者たちによれば「自分自身の人生」を生きることは決して容易なことではありません。

自分が自分として生きるということは、完全に自分の人生に責任を負わなければならないことであり、これは大きな不安を誘発します。

それで多くの人が自分も知らない間に他人が私(自分)の人生の責任を負ってくれることを願って、私の人生ではなく他人の人生にもっと関心を持つのです。

そして、それがその相手のためのものだと勘違いをしてしまいます。 代表的なケースがまさに自分が望んだ人生を子供に投射する親です。

「イルタ·スキャンダル」のソンジェの母親ソジン(チャン·ヨンナム)とスアの母親スヒ(キム·ソンヨン)がまさにそうでした。









弁護士でもあるソジンは暗くて不幸に見える人物です。 彼女は長男のヒジェ(キム·テジョン)が入試に失敗すると、次男のソンジェにすべてをかけるようになりました。

彼女はソンジェに友達を皆ライバルとして見なさいと言い、少しも休まずに「勉強しろ」と責め立てます。 その後、ついに学校の試験問題を盗むことまで犯してしまいます。

13回、これを知ったソンジェが母親に抗弁すると、このように言って反則をした責任までソンジェに問いました。

「誰のせいだと思ってるの!あなたが勉強しないから仕方がなかった!」

ソジンはこのように自分の不幸の責任を子供たちが負えと言うのです。 社会的成功にもかかわらず、自分が不幸な理由については省察せず、ただ子供たちが入試に成功すれば幸せになると信じています。

そして、それが「子供のためのもの」だと勘違いしているのです。









スヒも同じです。 「SKYママ」のインフルエンサーとして塾街を牛耳るスヒは、勉強のできる娘スア(カン·ナオン)に頼って生きています。

スアの成就をまるで自分の成就であるかのように思いながら、その成就感を維持するために他人をけなすことも躊躇しません。 そして「このすべてはスアのためのもの」と包装するのです。

しかし、彼女はスアが入試ストレスで苦しんでいる時、その気持ちに全く共感できませんでした。 また、スアが望むことが何なのかを聞く気もしないのです。

つまり、娘のスアを通じて自分の欲望を代理させるだけなのです。 第16話の夫婦喧嘩の中で起こったスアの父親の次の言葉は、そのような面で的を射た言葉でした。

「娘で代理満足してるだけだろう。大学も夫も全部平凡だから。娘を医者にして見返したいだけだ。見栄だよ。違うか?」




◇他人の人生を代わりに生きる時


自分の人生を生きないもう一つのタイプは、他人の人生の代わりに生きる場合です。

このような人々は概して罪悪感を減らさなければならないとか、愛または義理を守らなければならないという理由を挙げたりします。

ヘンソン(チョン·ドヨン)に会う前の、チヨル(チョン·ギョンホ)とドンヒがまさにそのようなタイプです。

チヨルは、自分が教えた学生スヒョンの自殺と関連して罪悪感に陥って生きる人物でした。 彼の友人たちは彼が罪悪感もなくスター講師になって華麗な人生を享受していると非難しますが、実際には彼は自らの幸せを諦めることで自分を処罰していました。









14回、自ら言うように「一兆ウォンの男ともてはやされても、中身は空っぽで仕事の奴隷だった。一食も消化できないまま寂しい家に帰り、なんとか寝ようとしては起きての繰り返しだった」そんな人生を生きながら自らをあきらめていたのです。







▲ ドンヒは姉の人生を代わりに生きながら、時にはチヨルを理想化し同一視することもある。




ドンヒは最も極端なケースで、姉であるスヒョンの人生を代わりに生きています。

勉強だけを強要する恐ろしい母親と暮らしながら姉と特に仲が良かったドンヒはスヒョンが自ら命を絶った後「私が信頼する唯一の大人であるチェ·チヨル先生の助手になって、隣で守りたい」というスヒョンの言葉をそのまま実践しています。

そのように姉が望んだことをして暮らしながら、チヨルを過度に理想化し同一視してしまうことさえあるのです。

14回のチヨルの代わりにリハーサルをするドンヒの姿が鳥肌が立つほどチヨルと似ていたのは、まさにこのような理由からだったのでしょう。 つまり、ドンヒはスヒョンあるいはチヨルとして生きてきたのです。 そこには、本当の、自分自身の人生というものが全くありません。




◇不安に耐えて責任を負う勇気

このように他人に自分の人生に対する責任を転嫁したり、あるいは他人の人生を代わりに生きながら自分の人生を回避する人々に何よりも必要なのは、不安に耐えて自分の人生を眺めることができる勇気です。

ドラマの中の人物たちは、この勇気を出した時とそうでなかった時の違いを非常によく見せてくれました。

ソジンは息子のおかげで勇気を出すことができました。 14回「まだ知らないだろうけど社会は汚くて批判的で職業が大きくものをいうの。」

「お母さんの言う通り良い大学に行かなければならない」と話すソジンに、ソンジェは、こういう質問を投げかけます。

「それで母さんは幸せですか? 良い職業に就いているけど、それで幸せですか?」

この質問でソジンは自身が幸せでないことが「より高い席に上がれなくて」ではなく「社会的地位だけを追求した」ためだったことに気づきます。

そして「私はなぜこのようになってしまったのか」を悩みながら子供たちに投射した欲望を取り戻し、自分自身として生きていくことを決心します。

そのため、不正行為の誤りを認め、処罰を甘んじて受け、子供たちが自分だけの道を進むように眺める母親に変貌することができたのでしょう。









スヒはソジンのように洞察を得ることはできませんでしたが、娘のおかげでこれ以上悪くならなかったケースだ。 母親よりはるかに洞察力のあるスアは14話、ヘイの事故を「陰口化」する母親に「私だったかもしれない!私がそうなっていたかも!」(14話)と叫びます。

おそらく、これはスヒにこれ以上娘に自分が望んだ人生を代わりに生きろとは言えないことを悟らせたのでしょう。 もちろん、スヒは相変わらず入試市場で活躍しています。

しかし、このような母親と距離を置くスアのおかげで、自分の行動にブレーキをかけることができたはずです。

チヨルはヘンソンに会って「自分の人生」を探し出します。 チヨルはヘンソンの食べ物を通じて自らの人生を担うために熾烈に勉強した若い頃の自分に再会しました。 そして徐々にヘンソンに心を開いて自らを大切にする人になっていくのです。

反面、ドンヒは最後までこんな勇気を出すことが出きませんでした。 名前まで変え他人の人生を生きることにあまりにも慣れてしまったドンヒは、15回チヨルが自分の本当の名前を呼んだ時に死を選びます。

「自分自身」として生きることが死ぬことよりもっと怖かったからなのでしょう。 ドンヒの死は自らの人生に責任を負うということがどれほど大きな勇気が必要なのかをよく見せてくれた部分でした。







▲ チヨルはヘンソンに会って自分の人生に責任を負うために努力した昔の自分の姿を思い出す。





このように「イルタ·スキャンダル」の人物たちは自らの人生に責任を負う勇気を出した時、ついに本当に幸せになりました。 そしてその勇気を出せなかった人物は結局人生をあきらめてしまったです。

実際、「イルタ·スキャンダル」の主要素材だった大学入試は、韓国社会で自らの人生に責任を負う勇気が必要な代表的なイベントです。

誰かは本当に自分が望む人生を探して大学入試に向かいますが、ある人は(おそらく相当数が)社会的なポジションを追ったり、他人の欲望を代わりに叶えるために入試に臨んでいます。

「イルタ·スキャンダル」の人物たちは、このような背景の中で、私たちに自らの人生に対して責任を負う勇気を出せと言っていたのかもしれません。 このような質問を投げかけながら。

「私は今、誰の人生に責任を負おうとしているの?」
「私は誰の人生を生きているの?」








ひとこと


ずしりと読み応えのあるコラム。”自分らしく生きる”ということの本当の意味をもう一度教えてくれているような…成人を迎えるような若い世代の方々にも観ていただきたいドラマですね♪


✳︎写真はtvNより記事はstar,ohmynews.comからお借りしました。

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