韓国旅行|音楽職人の存在感【キム・ドンリュル】『返事』6つのチャート1位占領!
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やはりキム・ドンリュルです。
キム・ドンリュルの底力が感じられます。 キム・ドンリュルが11日に発表した新曲’返事’で音源チャートを占領しました。
‘返事’は12日午前7時基準、国内最大音源サイトであるメロンをはじめ、ジニ、ソリバダ、オレ・ミュージック、ネイバーミュージック、バックスミュージック6つの音源チャートで1位を記録しています。
3年3ヵ月ぶりに発表した新曲ですが、キム・ドンリュルの存在感を立証した結果です。
どっしりした感性の響きを伝え、音源チャートを掌握、ロングランも期待されます。
‘返事’は金管楽器を除いた弦楽44人組と録音しました。この録音のために世界的な音楽監督パク・イニョンがLAからロンドンへ来て、直接指揮しました。
編曲は、有名な作曲・編曲家であるファン・ソンジェとチョン・スミンが長年の間一緒に構想したといいます。
ミュージックビデオには俳優ヒョンビンが出演して話題を集めていました。
今回のアルバムには’返事’をはじめ、’Moonlight’、’愛すると言っても’、’演劇’、’Contact’が収録されました。
‘愛すると言っても’は歌手イ・ソラとのデュエットで、’返事’とともにチャートの上位圏に上がりました。
キム・ドンリュルというブランド、良い歌の力が着実に持続して期待されています。
歌手キム・ドンリュルが新しいアルバムを発表し、「恥ずかしくないアルバムを作ること」が目標と明らかにしました。
キム・ドンリュルは11日午後6時に新しいEPアルバム‘返事’を発表しました。
キム・ドンリュルはアルバム発表と同時に、自分のSNSを通じて久しぶりにカムバックする感想とアルバム作業をしながら感じた感情を伝えました。
まずキム・ドンリュルは「かなり前から新しいアルバムを作るたびにこんな思いをしました。」
「このアルバムが引退のアルバムになっても恥ずかしくないように作ろう。引退をしたいという意味ではありません。」
「ドキッとしたなら申し訳ございません。私の心得に関する話です」
「私がデビューした90年代だけでも、デビューすること自体も容易ではなく、40歳を超えても旺盛な活動をしている歌手は稀でした。」
「それで私はミュージシャンは期限付きの職業だ、永遠にはできないという考えを常にしていたようです。」
「そのため、一枚一枚のアルバムを作るたびに、いつもこれが最後かもしれないという覚悟をしなければならなかったんです。」と心境を伝えました。
さらに、キム・ドンリュルは「一枚のアルバムが愛を受け、その次のアルバムを作ることができる機会が与えられるということがどれほど大きな幸せなのか、私の次のアルバムを待っている人がいて、好きになる準備ができた人たちがいるということが、どんなにすごいことなのか、二十歳の私は知っていたのでしょうか。」
「しかしながら、音楽は、やればやるほどもっと難しいし、決して容易にはならず、多くの人たちが喜んでくれればくれるほど、それだけ責任感と負担感も増えるという事実もまたよく知らなかったでしょうね。 その時は。」と記してアルバムの大切さについて言及しました。
また、キム・ドンリュルは「幼い頃はただ私が好きな音楽を作りました。少し時が経つにつれ、それに加えて、私の音楽を好むといってくれる人を思いながら音楽を作ることになりました。」
「そして今は、そこにもう一つ付け加えて、音楽をする先輩としての役割と責任感も共に考えることになります。」
「長い間、愛されてきただけに、お返しすることについて考えるようになる、いつしかそんな歳になりました。」と付け加えました。
そして、キム・ドンリュルは先月、急に去った後輩の故・ジョンヒョンについても言及し、注目を集めました。
キム・ドンリュルは「先日、まだ若く惜しい後輩を一人見送り、多くの考えをするようになりました。」
「音楽で何を、どこまで達成できるかを示すことも重要ですが、音楽をする人として、良い感じで老いていく姿、よく生きていく姿を見せられる先輩になりたいと思いました。
あまりにも大きな欲かもしれないけれど。」と心を現しました。
次はキム・ドンリュルの文章全文です。
かなりずいぶん前から新しいアルバムを作るたびにこんな思いをしました。
「このアルバムが引退のアルバムになっても恥ずかしくないように作ろう。」
引退をしたいという意味ではありません。 ドキッとしたなら申し訳ございません。 私の心得に関する話です。
私がデビューした90年代だけでも、デビューすること自体も容易ではなく、40歳以上でも旺盛な活動をしている歌手は稀でした。
それで私はミュージシャンは期限付きの職業だ、永遠にはできないという考えを常にしていたようです。
そのため、一枚一枚のアルバムを作るたびにいつも最後かもしれないという覚悟をせざるを得なかったのです。
いつのまにか私がデビューしてから25年になります。
大学歌謡祭の大賞を受けた日に家に帰って、その時の私に「お前はこれから25年間引き続き音楽をするだろう。」と言ったら、二十歳の私は簡単に信じられたのでしょうか?
一枚のアルバムが愛を受け、その次のアルバムを作ることができる機会が与えられるということがどれほど大きな幸せなのか、私の次のアルバムを待っている人がいて、好きになる準備ができていた人たちがいるということが、どんなにすごいことなのか、二十歳の私は知っていたのでしょうか?
しかしながら、音楽は、やればやるほどもっと難しいし、決して容易になってはくれず、多くの人たちが喜んでくれればくれるほど、それだけ責任感と負担感も増えるという事実もまたよく知らなかったでしょうね。その時は。
幼い頃はただ私が良いと思う音楽を作りました。
少し時が経つにつれ、それに加えて、私の音楽を好んでくれる人を思いながら音楽を作ることになりました。
そして、今はそこにもう一つ付け加えて、音楽をする先輩としての役割と責任感も共に考えることになります。
長い間愛されただけに、お返しすることについて考えるようになる、いつしかそんな歳になりました。
先日、まだ若く惜しい後輩を一人見送り、多くの考えをするようになりました。
音楽で何を、どこまで達成できるかを示すことも重要ですが、音楽をする人として、良い感じで老いていく姿、よく生きていく姿を見せられる先輩になりたいと思いました。
あまりにも大きな欲かもしれないけれど。
もうしばらく後に、私の新しい曲が発表されます。慣れても良いのに、毎回新しいアルバム発表を控えると、本当に胸がワクワクして震えます。
惜しさがないと言うことはできないですが、それでも熱心に作りました。この一年あまりの作業を振り返ってみると、ありがたい人々が浮かびます。
まず、2015年’The Concert’公演を終えてしばらくスランプに陥っていた私に手を差し伸べてくれたプロデューサー、ファン・ソンジェ君。
そしてソンジェとともに一年余間、編曲およびほとんどすべての録音を一緒にしてくれたスミン、そして素敵なストリング編曲とともに、LAからロンドンまで飛んできて、自ら指揮を担当してくれたイニョンお姉さんに感謝の気持ちを伝えたいです。
素敵な編曲をしてくださったイヒョン、タンゴのマスターになったサンジ、このほかに演奏や録音を助けくれた多くの方々、慰労と激励をしてくださった先輩・後輩の皆さん、友達本当にありがとうございます。
すべて、この方たちのおかげです。
最後に、少し後にわくわくする気持ちで音楽を聴いてくださる各地の隠れたファンの皆さん。
街頭で調べてみてくれる人々がいなくても、もう誕生日プレゼントやチョコレート、プレゼントみたいなものは入っていなくても、静かに日常の生活の中で私の音楽を聴いている方が多いというのはよく知っています。
本当にありがとうございます。
どうか、私の音楽が寒い冬に少しでも慰労と力になれますように。
ありがとうございます。
ひとこと
故ジョンヒョンに触れて「音楽をする人として、良い感じで老いていく姿、よく生きていく姿を見せられる先輩になりたい」結びには「どうか、私の音楽が寒い冬に少しでも慰労と力になれますように。」と記したリュル氏。リュル氏は永遠に私の誇りであり慰めです。感謝します♪
*写真はミュージックファームより記事はOSENからお借りしました。
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