韓国旅行|『ユン食堂2』ep10 “ciaoガラチコ!彼らが残したものは【温かさと懐かしさ】♪
▲(下)ユン食堂2撮影地、右は現在の姿/写真=SNS
スペインのテネリフェ島に位置した小さな村ガラチコに設けられたユン食堂は美しかったです。
異国的で小さく美しかったそこで会った多くの人たち。彼らのために一生懸命料理を作って、疎通するそのすべての過程が<ユン食堂2>の価値でした。
韓国料理を知らせることより価値のあるものはそこに住む人々との関係でした。
チャオ ガラチコ、グラシアス ガラチコ;
ユン食堂 最後の営業、旅行客たちも、村の人々も皆が幸福だった時間
地元紙エル・ディア新聞に’ユン食堂’についての記事が出て、多くの人々がそこを訪れました。
しかし、その日は最後の営業の日であり、これを惜しむ人々が増えるしかありませんでした。
ガラチコに住む多くの人々は、一生に一度も行ってみたことない、もしかしたら一生の間に行くことのできない韓国の食べ物を味わうことができるということは大きな意味でしかない状況でした。
挑戦です。自分の趣向に合う場合も、そうでない場合もあるはず。見知らぬ経験を通じて思い出を作ろうとする彼らの姿は本当に素敵でした。
次にいつ味わうことができるかも知れないけれど、見知らぬ人々に近づき、彼らの文化を共有するために努力する彼らの開かれた心もよかったガラチコでした。
最後の日という点でその日は特別になるしかありませんでした。
予約をするお客様、そして、新聞を読んで遅れて訪れたお客様によって余裕のない時間になるしかない状況でした。
営業開始とともに野外やホールに満ちた彼らのために作られた韓国料理はガラチコ住民たちとともににいい思い出になりました。
家族と一緒に、もしかしたら最初で最後であるかも知れない思い出を分かち合うために集まったガラチコの住民たちの姿はそれで嬉しかったです。
10日間の撮影。その短い時間の間、そこに居住し彼らと一緒に生活した’ユン食堂’ファミリーにもそのすべては大きな意味と価値となったようです。
西洋人たちには馴染みの薄い食べ物ですが、概ね好意的でした。
口に合わない人もいらっしゃいましたが、できるだけ彼らの口に合うようなソースの調和は良い評価を導くことができました。
正式営業前に、村の住民を相手に評価を求めた状況を見ると、明確です。
ユン・ヨジョンは最大限、自然そのままの味が好きでした。
そのように出したビビンバは現地人たちにはなんの感興を与えられませんでした。より強い刺激が必要だったのです。
概して甘い味を好む西洋人たちには、自然そのままの味は拷問の可能性もあったからです。もともとのレシピどおりに変え、地元の人々は親指を立て始めました。
西洋料理は意外と甘辛いです。すべてがそうではないですが、塩辛すぎて食べにくいものも多いのです。
韓国人たちこそ、塩辛くて甘いものを食べると指摘されていますが、、実は西洋人の料理は私たちが簡単に食べられないほど刺激的なものが多いのが事実です。
現地人の好みに合わせて調整した後の巡航を見ればわかります。一’ユン食堂’の最高メニューはやはり’タッカンジョン’でした。
チキン料理は洋の東西を問わないです。宗教的な理由で拒否する人もいません。
そのような点で、鶏は全人類が共通的に好きでよく食べる食材であることは明らかでした。
西洋にもチキン料理は多いです。しかし、韓国式チキン料理は西洋人にも最高だったようです。
最近、閉幕した平昌冬季五輪で数多くの外国人たちが歓呼を上げていた料理も、チキンでした。
KFCという固有名詞化されたこの名称が韓国式フライドチキンに変わるしかないようになったのは、それだけ彼らにも韓国式チキンが最高という意味でしょう。
タッカンジョンの甘いタレの魅力にはまったガラチコの人たちは一度で止められませんでした。
幼い子供から年配の方々までタッカンジョンの魅力にはまった彼らの姿は珍しく見えました。西洋が特別に認識された時代です。
そしてそのように刻印された私たちに西洋人たちが、私たちの日常に関心を持って、文化を不思議に思ったり、楽しむ過程は依然として不慣れに感じたりもするのでしょう。
チョン・ユミが毎日洗濯物を干す時に会っていた隣りのおばあさんが最後の日、ユン食堂を訪れました。
お肉を食べられないおばあさんにも菜食ビビンバはびったりでした。適当な間で野菜がたっぷりの食べ物は満足できるしかないからです。
そして町の人たちと話を交わして写真を撮りながら思い出を残す彼らの姿には本当に親しみを感じました。
最後の営業という言葉に不満を吐露する彼ら。そしてその最後を残すため、お互いに写真を撮ってくれる彼らの姿はすべてが美しかったです。
ユン食堂と近いところにある精肉店の社長家族も最後の日、最後の予約客として食堂を訪れました。
韓国料理を味わったことがなかった彼らにも、その最後の食事は特別な感興だったようです。
精肉店社長が何というでもなく投げかけた“懐かしいんだ”という言葉は大きな響きのように近づきました。
製作陣の事前点検まで合わせると、一ヶ月近くその小さな村に韓国から渡ってきた人たちと一緒にいました。
旅行客が訪れる観光地でもありますが、こんなに多くの人々が長い時間を共にすることも容易なことではないからです。
‘ユン食堂’を運営をするために必要な食材を買っていた精肉店、八百屋などは毎日会うしかない関係でした。
それで懐かしさは一段と強まらざるを得ないのです。子供たちを愛して、お年寄りと友達のように過ごすガラチコは最も理想的な風光を持っていました。
小さな村ですが、人口構成を見ると一方に偏っていることがありません。お年寄りの天国のように見えるそこにはいつも子供達がいっぱいです。
パク・ソジュンにはまって、毎日店の前をうろうろする少女たちの姿も特別に迫ってきました。
赤ちゃんと散歩をしている時に、ユン食堂を見て、幼い子供たちと不慣れな食べ物を味わうことにする彼らの姿にはゆとりがいっぱいでした。
子供を上手にあやしている父親の姿も、成長した娘と一緒に食堂を訪れた老夫婦も、ガラチコが見せてくれる家族的な姿だったのです。
赤ちゃんと小さな子供たち、そして青年たちと中年、そしてお年寄りまで、全ての年代が適切に交わって暮らしているこの小さな村ガラチコは、だからもっと特別です。
ユン・ヨジョンは観光客が来てくれることも良かったが、村人たちが探してくれて嬉しかったと言いました。
一生を共に生きてきた人々がユン食堂を訪れて、不慣れな食べ物を味わって話を交わす姿は、ユン・ヨジョンにも特別に近づいてきたようです。
視聴者にもガラチコ住民たちの懐かしさが嬉しくて幸せになったことでしょう。
宿舎と近いコーヒーショップのオーナーと友達内外の話もおもしろいです。
お金よりはどのように幸せに暮すことができるかが大切と、淡々と話する彼らの対話に多くの悩みを抱えることになります。
両親と一緒に来た女性が韓国人たちが世界で最も仕事をたくさんするという話は痛かったです。
インドで会った韓国の友達を通じて伝え聞いたという話は我々の話だからです。過度に仕事ばかりしている韓国人。
そんな人生を生きられないというガラチコの人たち。ユン食堂訪れた彼らが我々の現在を見つめるのは当然のことです。
急激な経済成長には国民の努力が欠かせませんでした。
友達とアイスクリームを買って食べる20ユーロさえあればいいというカフェ店主の言葉と、仕事なんかより人生の均衡をさらに大事に思っていた客の真剣な悩みは我々にも特別に迫ってきました。
生活の質を高めるために必要なものは社会的合意を通じて作っていかなければならない問題だからという言葉。
最後の営業を終えて、今は友達になってしまった広場前の食堂の家族と挨拶を交わしていたユン食堂のメンバーたち。
なんとなく感じる物足りなさを吐露し、”住み慣れたみたい”という言葉の中に<ユン食堂2>がすべて含まれていました。
別れを惜しむ花屋の主人も、製作陣に向けて甘いおやつを用意してくれた住民も皆が懐かしい隣人のようでした。
美しい自然、そしてそこで暮らす人々は自然ととても似ています。暖かい天気に美しい風景を抱いて生きている人たちが、悪になる可能性はないのでしょう。
すべての世帯が集まって暮らすその小さな村は、もう思い出になりました。
ciao ガラチコ! その最後の挨拶を交わし、グラシアス ガラチコ!と叫びたい <ユン食堂2>は十分に美しくて幸せな時間でした。
ひとこと
毎回ナPDと同じ優しい眼差しで丁寧に書かれ、普通の人々を照明し「 <ユン食堂2>は十分に美しくて幸せな時間でした。」と締めくくった素敵なコラムに感謝です♪
*写真はtvNより記事はmediausからお借りしました。
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