韓国旅行|『ユン食堂2』コメンタリー:懐かしいガラチコを振り返る時間…♪

韓国旅行|『ユン食堂2』コメンタリー:懐かしいガラチコを振り返る時間…♪





すべての話が終わってみんなで集まってコメンタリーをする席は興味深いものでした。

撮影が終わって3ヵ月ぶりに会って、一緒に食事をしながらガラチコを振り返る時間は、本放送で見られなかった新たな視線と楽しさを伝えてくれていました。

シーズン3がいつかは分かりませんが、確かに始まるという確信が持てました。


◆思い出を作るガラチコ; ガラチコの温かさ、日常の素朴さが盛り込まれていたユン食堂2号店

放送は終わりました。限定された時間、ガラチコに食堂を出し韓国料理を販売していた’ユン食堂’は、去らなければならなくなりました。

韓国では最も寒い冬でしたが、ガラチコは美しく輝く島でした。そしてその中で歳月と共に生きる住民たちの姿はまるで童話のように見えるほどでした。

‘ユン食堂’には今回も本当にたくさんのお客様が訪れました。数字よりも、そこを訪れた彼らの顔を思い出してみるのが興味深かったです。

旅行客からスタートし、村の住民たちの広間の役目までするようになった’ユン食堂’はそれでもっと魅力的になりました。

そこで一緒に暮らす彼らが足を運んでくださったことで、そこはさらに貴重な空間に変貌して行ったからです。










ヨーロッパでは有名な旅行地であるため、様々な国籍の旅行客が訪れたりもしました。

そのうち大統領府を訪問したことがあるという人物が登場し、ネットユーザー捜査隊によって彼が誰なのかすぐに明らかになったこともありました。

大半がヨーロッパ人ですが、それぞれ他の国から旅行に来た人々が不慣れな韓国の食べ物に接する過程そのものが楽しみでした。

韓国料理を販売する過程で意外な状況にもしきりに接するようになりました。依然として韓国料理は世界化されていなかったからです。

もちろん、韓国という国家ブランドもまた、全世界の人たちがすべて知ることができるほどではないという点で当然なこともありました。

たった今、その存在感を見せ始めたという点で’ユン食堂’での多様な反応は興味深かいものでした。

韓国料理を、意外によく知っている外国人もかなり存在します。アメリカのコリアタウン近くに住み、料理を味わった彼らも、実際に韓国に居住した外国人が登場したりもしました。

慣れ親しんだ韓国語で簡単な対話も可能な彼らを見ると、相変わらず不思議に思えます。それだけそんな風景に慣れていないためでもあるでしょう。










韓国という国がどこなのかも知らないし、そこの人の食べ物が何かも知らなかったガラチコの人たちはそれで興味深かったです。

ご高齢の方たちにとっても’ユン食堂’は一生韓国という国とその食べ物を味わうことはなく、もしかしたら最初で最後であるかも知れない瞬間だったからです。

勇気を出して韓国料理を味見する彼らの姿には、健康的な挑戦精神もありました。いつまた会えるか約束できない韓国料理に。

そして韓国人と会話をして、少しでもその文化を習ってみようと努力するガラチコの住民たちの姿は本当に良いものでした。

<ユン食堂2>が得たのは、まさにガラチコという村と、その中に住んでいる人たちでした。

5千人ほどが居住するというガラチコは小さいです。しかし、1年を通して温和な天気を持ったそこは、それだけで美しい村でした。

天然プールとスペインサッカーの人気を改めて気づかせてくれる天然芝の競技場までユニークな彼らだけの文化はきれいに位置していました。










小さな広場を中心に絵葉書でしか見ることのできないような家がきれいに位置している、そこは大都市の忙しい日常とは大きく違っていました。

朝早く起きて自分の家の前を掃いて一日を始める人、屋上で洗濯物を干しながら、お互いに挨拶を交わす関係、子供たちを学校に連れてくる人たち、ペットと散歩をする彼らの日常の姿に、せっかちさを見つけることは難しかったです。

ガラチコの住民が重要だった理由は、彼らは単に食べ物だけ食べるために(ユン食堂を)訪れたのではないからです。彼らが集まるとそこは小さな広間になります。

そのように自然に様々な話題が出て、そんな彼らの話の中に「どのように暮すのがいいのだろうか? 」というような考えが自然に芽生えたりもしました。

幸福とは何か? ガラチコの住民たちも同様な悩みをしながら生きていました。近所のレストランのシェフとスタッフたちにも、どのような生活が本当に自分に幸福を与えられるかの悩みがありました。

海千山千のレストランのの主人にとって、「幸せはたくさんのお金ではない」という結論でした。









魅力的なシェフも「自分にとって重要なのはお金ではなく、一緒にいる人たちだ」という言葉は、彼らが幸せな理由がちらりとわかるものでした。

みんながそうすることはできないでしょう。 そのために彼らも「’幸福’って何なの?」という談論を交わすからです。

宿舎に帰るために必ず通らなければならないコーヒーショップのオーナーも、やはり「幸せは大金ではない」という確信を持っていました。

「友達とアイスクリームを買って食べるぐらいのお金だけあれば幸福でいられる」という彼らの価値観は私たちにもう一度幸せとは何かを考えさせました。

もちろん、社会福祉制度がどれほどうまくできているかによっても、人生の価値は変わるしかないでしょう。

老後が保障されなかった私たちには、「がむしゃらにお金を稼がなければならない」という切迫感が存在しています。

未来のために現在を放棄する韓国人の姿を、外国人たちは理解できないのでしょう。

しかし、韓国人たちにとって不安な未来は、負担になってそんな不安がすぐに現在を不幸に造る理由になったりもするのです。

さらに狂風のように吹きつけるとコネづくりと、比較文化は’金’を崇拝するように要求されたりしてきたからです。










出演陣に最も幸せだった日について聞いた記憶も大きく変わらないものでした。

もちろん、財務を担当したイ・ソジンには一日の食堂の収益が重要でしたが、他の職員には一緒に過ごす時間が大切なものでした。

食堂の営業が終わった後、家に帰って一緒に食べた食べ物。その様々な料理が凄かったのではなく、皆が一緒に食事をし、多くの対話を交わしたということが幸せだったのです。

「50歳が近づいて結婚は考えない」というイ・ソジンにも、その思い出は価値あるものになったようです。

家族とは食事を共にする人たちです。そんな点で、彼らはは本当に家族となりました。

一緒に努力して、働いて、一つのテーブルに座って、食事をしながら一日を締めくくる彼らは本当に家族でした。

ガラチコにもK=POPは存在しました。日本のアニメがそこの子供たちにも深く根を下していることが明るみになりましたが、K-POPもそこの子どもたちには流行していました。

パク・ソジュンを見るために’ユン食堂’の周辺をうろうろしたガラチコの少女たちが、まさに毎日K=POPを聞いて歌う人たちでした。

発売になるやいなや、遥か彼方に住む子供たちが歌を聞いて歌う姿は不思議です。

大衆的だと言うことはできないまでも、青少年たちの間でのK=POP人気は確かに存在することをもう一度見せてくれたからです。

ママと一緒に訪れ、ユン・ヨジョンにサインをもらった、その少女には韓国の大衆文化に対する憧れが存在していました。










西洋人の強力な甘党には驚いたものの、一気に彼らの味覚を魅了したユン・ヨジョンの旅はまだ終わりませんでした。

すべてに慎重な言い方だけをしていたイ・ソジンは、すでにシーズン3に向けたキムパプと、三枚肉の甘辛いコチュジャン炒めなど様々なメニューまで準備していました。

透き通るような明るいエネルギーを伝えてくれるチョン・ユミは今では欠かせない核心人物でもあります。

新たに合流しましたが、強力な台風の目だったパク・ソジュンは食堂の外でも実質的なシェフでした。

様々な料理を自ら作って家族と分ける姿、そして色々なバイトをしてきたためか、ホールでのサービングをよくしていた彼のいないシーズン3は考えられないようになりました。

<ユン食堂3>がいつ、どの場所で始まるか知ることはできません。しかし、確かな事実は、依然として視聴者たちは彼らの新たな挑戦を期待しているということです。

商売をするための行為ではないという点で、収益は重要ではありません。

ガラチコ編で赤裸々になったように、そこで暮らす人々とコミュニケーションをとり、韓国と韓国の食べ物を知らせる過程がどれほど大切なのか明確になったのです。

次の挑戦も目標はガラチコと類似していなければなりません。 良い食堂ではなく、広間の役割が可能な空間になってこそ意味を見つけることができるからです。




ひとこと


“確かな事実は、依然として視聴者たちは彼らの新たな挑戦を期待しているということです”の一文は本当に嬉しく笑顔になります。その時、この素敵なコラムにも再会できることがさらに楽しみです♪


*写真はtvNより記事はmediausからお借りしました。

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