韓国旅行|「ムン·ガンテはムン·ガンテのもの」 僕が【キム·スヒョン】に感情移入した理由(コラム)♪

韓国旅行|「ムン·ガンテはムン·ガンテのもの」 僕が【キム·スヒョン】に感情移入した理由(コラム)♪



ドラマ「サイコだけど大丈夫」のワンシーン。 弟ムン·ガンテ(キム·スヒョン)と自閉症障害者の兄ムン·サンテ(オ·ジョンセ)が並んでバスに座っている。 サンテは懐に絵本を抱いている。 ⓒtvN



「きょうだい児」が見た「きょうだい児」ドラマ「サイコだけど大丈夫」

✳︎「きょうだい児」とは、障害のある子どもの兄弟姉妹のこと。徐々にメディアで取り上げられることが増えてきた言葉ではありますが、まだ、なじみがあるとは言えません。(2020.7 DIAMONDonlineより)

この前、tvNドラマ「サイコだけど大丈夫」を見て友達とおしゃべりをして「ムン·ガンテ(キム·スヒョン)にとても共感して感情移入しながら見ている」と言いました。

友達は「お前が?キム·スヒョンに?なんで?」と聞き返しましたが、その瞬間「あ、そうだ。という表情をしました。

その表情は「そうだ、お前にも自閉の弟がいたな。お前もきょうだい児だったね。なるほど、ムン·ガンテもきょうだい児なんだよな。」と話していました。







これまで障害者家庭の敍事は、主に障害者当事者と親(主に母親)に集中していました。

きょうだい児は、主に厳しい状況でも障害を持った兄弟姉妹の面倒を見る「キャンディ型天使」または親と兄弟姉妹を置いて家を飛び出す反抗児の一人として描かれていました。

自分だけの話を持った人物というよりは、障害者家庭の「不幸な叙事」を引き立たせる小道具のような役割だったのです。

きょうだい児はメディアでも、自分たちの実際の人生の中でも主人公になったことがありませんでした。

そのようなきょうだい児を主人公にするドラマが出るとは、期待よりも心配が大きかったです。

ついに私と似たような人々の声が代弁されるのではないかという期待感、そして、もしかしたら、ドラマで誤った再現をするのではないかという心配…。

周辺の他のきょうだい児も「もしかしたら、また発達障害者やきょうだい児を変に描くかも知れないので見たくない」という意見が多かったです。

ところがドラマが始まった初日から私は、すっかりこのドラマにはまってしまったのです。








第1話を見ながら最も驚いたのは、自閉性障害のある兄サンテ(俳優オ·ジョンセ)と彼の弟ガンテが電話の向こうでもめる場面でした。

意地を張るサンテをガンテが叱ってなだめて落ち着かせる姿が、まるで私と弟がいつか交わした対話をそのまま持ってきたようだったのです。

実際、きょうだい児の日常は多くの部分でいざこざがあります。

障害を持つ兄弟が望むのは、時には社会的脈絡の中で不適切に思われることもありますが、(ドラマではサンテが「コ·ムニョン作家が子ども病棟で朗読会をするなんて!私がいますぐそこに会いに行く」と言っていました。)

障害を持たない兄弟がこれを調整しなければならないのです。

他の人たちにとっては通り過ぎる一場面だったかもしれませんが、私には従来のドラマや映画では見られなかったような生々しさが感じられました。








「サイコだけど大丈夫」はいろいろな面で「もしかしてこれは私の話なのかな?」と思うほど、きょうだい児の生活をリアルに描き出しています。

すべてをじっと抑えながら生きているガンテの顔が、きょうだい児そのものなのでドラマを見ている間、訳もなく涙が出ました。

そんなきょうだい児の痛みを最もよく表す台詞の一つは、幼いガンテに母親が言う言葉でした。

「ガンテ、お前は死ぬまで兄さんのそばにいてね。育てるのはお母さんがするからお前は守ってあげて、そうすればいいの。分かった?お母さんはそのためにお前を産んだのよ。」

「そのために生んだ」という言葉は、ガンテは兄を守ってあげるために生まれた存在という意味です。

あなたの存在には理由と目的があり、あなたはその目的で服務する人生を生きなければならないという意味。








残酷に見えますが、多くのきょうだい児が実際に聞く言葉です。特に、ガンテのように障害者が男同士の兄弟の場合はなおさらです。

必ずしもそうでなくても、普段から親が冗談のように言う誉め言葉は、あまりにも簡単にきょうだい児の幼い肩の上に積もるのです。

「あなたがいて本当によかった」、「あなたがいないとどう生きるというの。」、「あなたの存在が本当にありがたい」… このようにきょうだい児は幼い頃から保護者の機能を受け入れ、また遂行するようになっていきます。








ところが、その後、幼いガンテの言う言葉が意味深長です。

「僕は兄ちゃんのものじゃない。僕は僕なんだ。ムン・ガンテはムン・ガンテのものなんだ。」

すべてのきょうだい児が心の片隅で持っている一言です。

自分は誰かの兄弟ではない、兄弟に付属する存在ではなく、自分だけの感情と欲求を持った一人の人間だということを、幼いガンテは知っていたのです。








しかし、ちょうどその日、サンテが目の前で川に落ちて死にそうになり、ガンテは「兄の存在に対する不満を抱けば、僕は兄さんを死なせるかもしれない」というトラウマができてしまうのです。

以後、ガンテは言いたいことを全て飲み込むようになりました。サンテという存在とサンテを世話する義務を自分の当たり前の生活条件として受け入れ、ただ持ちこたえながら生きていきます。

そんなガンテがまた違う痛みを持ったムニョン(ソ·イェジ)に会って、自分が本当に望むものを探して行き、結局「本当に本当に幸せな顔」をするようになる過程は涙ぐましいほど美しかったです。





ドラマ「サイコだけど大丈夫」のワンシーン。きょうだい児ムン·ガンテ(キム·スヒョン)の姿。



しかし、いくつかの残念さは残ります。まず劇の後半部に行くほどサンテが覚醒したように「曖昧に」なりました。

もちろん、発達障害者もそのスピードに合わせて成長します。

しかし、長くてもわずか数週間でムンヨンとの関係変化を受け入れ、弟たちを保護する兄の役割を果たす姿は、換骨奪胎の水準なので信じられません。

また、サンテは高機能自閉スペクトラム障害(発達障害3級)の人物として登場しますが、いくら高機能自閉人でも「設定だ」と思う場面がいくつか見られました。

自閉スペクトル障害は、その名の通り軽症から重症までの様相が多様で範囲が広いです。

その中でも軽症に属し認知機能が高い方の人々を「高機能自閉症スペクトラム障害者」または「高機能自閉人」といいます。

しかし、高機能自閉人にも限界はあるものです。

表情を読む練習をすることはありますが、サンテのように他人の感情を推し量ることは難しく、自分の考えと心を他人が理解できるようにうまく表現できる場合も珍しいでしょう。

そして、サンテが高機能自閉人として描かれながら、逆に疎外されるのは重症自閉症障害者のきょうだい児です。

きょうだい児が主人公のドラマにさえ代弁できない声があるのです。

もちろん、ドラマの展開のためにある程度必要な設定だということは理解できますが、残念さが残るのは事実です。







このドラマで最もファンタジーな部分は、ガンテとサンテ兄弟の周辺人物です。

数年間、1年に1度の割合で引越しをしても、兄弟のそばを守ってくれる「友人ジェス」、兄弟の面倒を見る「ジュリママスンドク」、そして何よりも「ガンテ」の欲求を知り、可愛がってくれる「ムニョン」まで…。

ガンテをハッピーエンドに導いたのは、周りの人々の地道で条件のない支援でした。彼らの支援によって、ガンテは誰でもない自分を愛することができるようになったのです。

このように、きょうだい児にも彼らの困難を察し、面倒を見る人々が必要です。もし周りにそのような人がいなくても、自分の面倒を見て、愛する方法を見つけなければなりません。

今もどこかにいるきょうだい児たちに心の底からの応援と愛を送ります。



ひとこと


ドラマを見終えた時から「このような感想を聞きたかった」と思わせる胸の熱くなるコラムです。「サイコだけど大丈夫」と出会えて本当に幸せで、この文章と出会えてもっと幸せでした♪


✳︎写真はtvNより記事はbeminar.comからお借りしました。

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