韓国版センター試験は幸福能力試験です!
その少女は、ソウル西大門区の女子高3年に在学中のイ・スヨンさん(19)。彼女は修学能力試験を期待と不安が入り混じった気持ちで迎えていました。
スヨンさんは、2歳のときに離婚した両親と離れてからは、親戚の家を転々とし、その後は青少年施設で生活してきました。
厳しい環境の中でひっそりと、しかし自分の強い意志と能力だけで準備してきた修能試験は、”偉大な挑戦”となったわけです。
スヨンさんは、両親が離婚後、4年間は隣の家に居候していました。小学校入学以降は、祖母の家と親戚の家を転々としていましたが、とうとう中学1年生の冬休み、父を探して一人でソウルに上京して来ました。
苦労して見つけた父は、スヨンさんの期待とは異なり狭い部屋で一人暮らしをしており、その上多額の借金を抱えた状態でした。
やっと出会えたという喜びもつかの間、父はスヨンさんが高校2年生の頃、”船に乗りに行く”という言葉だけを残したまま、再び、スヨンさんの元からいなくなったのです。
その日から、戻るところがなくなったスヨンさんは、ソウル市の緊急コールセンターの推薦を受け、家出した青少年のための西大門区の青少年施設で2年間を過ごすようになりました。
彼女は青少年施設にも慣れてきたた頃から、勉強にもっと夢中になり始めました。ずっと、勉強を通して不幸のどん底から抜け出したいと思ってきたと言います。
自分のように厳しい環境にいる後輩を助けることができる道も勉強だけだと信じるようになりました。
スヨンさんは、高校入学後、一日も欠かさないで夜11時まで、学校の夜間自習に参加しました。お金がないから、他の子供たちのように学校や課外授業を受けることはできなかったのです。
しかし彼女は、「気の合う友人や実力が似ている学生同士でチームを作ったところ、担当科目の先生が週に2回の補習授業をしてくれたんです。それが大きな助けになりました。」と言っています。
机の上に積まれていた問題集の表紙には、それぞれ他の人の名前が記されていました。「問題集の値段が高いので、友達が使っていたのを譲ってもらったり、古本屋で買ったので、他の人の名前が書いてあるんです。」と笑って話してくれました。
ノート1枚でも節約しようしたのでしょう。びっしりと書き込みがありました。
普段のクラスで10位程度の成績を維持してきたスヨンさんは現在、高麗大学、世宗キャンパスの公共行政学科を希望しています。
スヨンさんは、青少年施設を担当する社会福祉公務員になりたくて、公共行政学科を志願しており、寮を提供している条件がある大学に行かなければならないため、実際の成績よりも下げて志願したと話します。
「自分を家族のように面倒見てくれた施設の人たち、そして先生に恩返しをしたい、更には、後輩たちが、より良い環境で過ごせるよう支援することが私の夢です。」と語っています。
スヨンさんは、高校入学の時には、既にこのような夢を持っていて、勉強の合間には、地域児童センターでボランティア活動をしてきたのです。
不遇な環境に挫折している自分の弟たちのような人たちに、いつもこう言ったそうです。
「家の環境に関係なく、私たちにはまだたくさんのチャンスがある。やることも多いはず。自分を信じて、強い意志さえあればいい!私たちはまだ若いんだから!」
彼女の記事を読みながら、私は少し涙が出ました。日本の場合、AOや推薦入試で誰でもあまり努力せずとも、大学に入れるようになった昨今、残念なことに意欲も意志も持てない学生がいます。
彼女は厳しい状況でも誰かを助けたいという優しい気持ちを持ち、譲ってもらった教科書と参考書で勉強しています。本当はこのような人が幸せになるべきであり、そのような世の中がまともな社会だと思うのです。
楽をして大学に入り、自分を甘やかしてしまう学生が、親や家庭環境に恵まれてのほほんと生きていてもいいのか、少なからず考えさせられる記事でした。
スヨンさんは、修学能力試験を幸福能力試験だと言います。勉強が人生の全てではないという人もいます。
しかし、芸術や芸能、運動やビジネスの才能のない人にとって、自分が良い人生を送る社会的システムは勉強しかないのではないでしょうか。彼女はそれを知っています。
ソウルでは、昨日、修学能力試験当日に学歴社会を批判する高校生のデモもありましたが、それは一つの考えとして、私ももちろん否定はしません。
ただスヨンさんの立場からすればとても贅沢な話なのではないかと思うのです。スヨンさんを応援しつつ、今日も自分の一日を振り返って反省したいと思う私です。
静かに祈るすべてのひとの願いが叶いますように・・・
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